【 Victimae paschali 】 ヴィクティメ・パスカリ


 『 MESSIAH First Impression Book SIDE-A 』 より 一部抜粋掲載



【 1 】

雪が降っていた。
世界の音の総てを吸い込むように、絶え間なくゆっくりと。
厚い雲で覆い尽くされた夜空はいつもの空より更に暗く、星の光は全く見えない。
それでも吹きすさぶ風の強さにその雲は流れ、
時折、銀色の満月の輝きが静か過ぎる墓地を照らしていた。

「……パパ……ママ………」

幼い子供が、まだ建てられたばかりの真新しい墓石の前にしゃがみ込んでいた。
分厚いコートにマフラーを巻いてはいたが、その小さな肩には既に真っ白な雪が積もっている。
少年は一体どれだけここでそうして泣いていたのか。
涙すら凍り付いてしまいそうな寒さだった。
あと少しここにいたら、少年の命も恐らく凍り付いてしまうだろう。

「パパ……ママ………。どうして殺されちゃったの………?」

少年が目尻の端を拭う。
泣き腫らしたその瞼の際は既に荒れて、がさがさになっている。
声と男児用の仕立てのコートで少年だと分かるが、
そうして覇気を失った瞳で泣き続ける様は、少女と見まごう程だった。

「う……っぅ……っふ……っく………」

墓石には、真新しい花束が幾つも添えられている。
まだ殆ど萎れていない真っ白な薔薇から察するに、
今日か昨日か、かなり新しい弔いであったはずだ。

「僕も……パパとママの所に行きたいよぅ………。置いてけぼりなんて……嫌だよぉ………」

埋葬されているのは、少年の両親であろうか。
刻まれた名前に降り積もる雪を、何度も払った跡がある。

「パパ……ママ……」

少年がまた雪を払おうとする。
けれど、真っ白な毛糸のミトンを嵌めた少年の手は、もう震え始めている。
そして皮膚も血の気を失い始めて、動きが緩慢になって来ているのがはっきりと分かる。
死が、少年の上にも降り始めていた。

「僕も……この中に入りたいよぅ………」

力のこもらない手で、少年が大理石の墓石を叩く。
そうして何度か叩いているうちに、不意に少年の躯がぐらりと揺れて、
そのまま真っ白な雪の上に倒れ込んだ。

「……僕も……─────そこに行きたいよ………」

雪の上に横たわったまま、少年が力無く微笑む。
瞬きする力すら、もう失われ始めているようだった。
笑んだままの顔で、少年は何かを凝視めていた。
それは、雪だった。
夜空から舞い落ちてくる雪を、ぼんやりと眺めているのだった。

「ここで……眠れば……いいのかな………」

少年は誰に向けてでもなく、問うた。
大粒の雪が、あっと云う間に少年の白い頬に積もっていく。
その時だった。
何か黒いものが翻って、降ってくる雪が遮られた。

「……何をしている? 死ぬつもりなのか?」

いつの間にか、男が立っていた。
黒い、と少年が感じたものは彼が羽織っている漆黒のマントだった。

「………違うよ。死ぬんじゃないよ。……パパとママの所に行くんだ」

少年はもう、身動きすら出来ないようだった。
ただ少しだけ眼を細めて、小さく笑っただけだった。

「お前の両親は? 何処に?」
「……この中にいるよ」

少年がそう言って、視線で真新しい墓石を促した。
その瞬間。
男の眼が一瞬見開かれて、そして苦渋の色がその瞳に浮かんだ。

「……──────この墓は、お前の両親のものなのか?」
「……そうだよ」
「………」

男はそれきり何も言わなかった。
代わりに、既に冷たくなり始めた少年の躯を優しく抱き寄せてマントでくるみこむ。

「……何するの? ……僕はここにいるんだよ?」

少年が力無く言った。
男がゆっくりと歩き始める。

「もしこのままお前がここで死んでも……両親の元には行けないぞ。
自ら命を絶った者は煉獄の炎に堕ちる」

「……どう云う意味? 僕はもうパパとママに会えないの?」
「……会えないことはない。けれど今はまだ早い」
「早くないよ? だって僕はもう独りなんだよ?
グランマは僕のこと嫌いなんだ、厳しいことばっかり言うんだよ」
「……もう一度言うが、お前がここで死んでも、両親の魂と同じ国には行けない」
「……そんな……。じゃぁどうすればいいの?」

雪は一層強さを増していた。
瞬きする暇すらない程に、大粒の真っ白な結晶が空から舞い落ちて世界を白く塗り潰している。
夜の匂いと雪の匂いと、風の匂いしかなかった。
恐ろしいような静寂だった。
その中を、男は少年を抱きか抱えたままゆっくりと歩いていく。

「お前は生きねばならない」
「……生きる?」
「そうだ」
「……独りで?」
「……──────」

男は何も答えなかった。
ただ一度、哀しそうに微笑んだだけだった。

「……降ろして」
「駄目だ」
「……僕がいなくなったらパパとママが寂しがるよ、僕はあそこにいなきゃいけないんだよ」
「あそこにあるのは只の骸に過ぎない」
「……っ!?」

刹那、少年の瞳から涙が溢れた。

「う……っぅ……ふ……っぅ、く……っぅ……パパ……っ……ママ……っぅ、ぅく……っ」

薄い茶色の瞳の際から透明な水が溢れて、たわむように弾け落ちる。
そしてそれは銀色のガラスの欠片のように真っ白な頬から音もなく零れ落ちて、
少年の抱きかかえる男の指に落ちた。

「……──────温かいのだな」
「……え?」
「……人間の涙は……こんなにも……」
「……何を言ってるの? ……貴方は誰? 僕を何処に連れて行くの?」

男はまた、答えなかった。
代わりに大きな骨張った手で、少年の瞼を一撫でした。
その瞬間から少年は急激な眠気に襲われ、そのままとろけるように眠りの淵に落ちて行った。






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